最近の私について。

人間というのは
不思議な生き物で
生きるのに都合よくできているみたい。


怪我したのが2006年の12月。
2006年12月に1回目の手術(剥離骨折とめたね)
2007年3月に2回目の手術(抜釘&癒着剥離)
2007年8月に3回目の手術(癒着剥離)
2008年7月に4回目の手術(癒着剥離)


怪我してから、1年半ちょっと。
その間は、すっごいどん底な時期もあったよね〜。


自己嫌悪とか
無力感とか、いっぱい感じたし。
痛いのもつらかったなぁ。


とくに一番悲しかったのが
「生きてる理由がわからない」っていうこと。


「死にたい」とは違うんだよね。
そういう、強い感情じゃないの。
ただ、生きてる理由がわからないの。
だから、「消えてなくなりたい」と思ってたな。


夢とか、希望とかな〜んにもなくって
痛いだけ。
こんなことがずーっと続くのかと思うと
生きてるのがめんどくさい。
生きてるのが苦痛。
生きてかなきゃいけないのが
とにかく、苦痛で苦痛で・・・・。


まわりに優しくされても
(ありがたいとは思いつつ)
うれしく感じられないときもあったり・・・。


今思い返しても
けっこう病んでたよなぁ・・・。


しかし。
今の私はどうよ?


あいかわらず、痛いのは痛い。
夢も希望もないけど
なんとなく元気。


別に、作ってるわけでも、演じてるわけでもなく
なんとなく、ふつーのテンションで生きてる。


会社行ってないから
肉体的な負担が少ないっていうのも
ひとつの要因ではあると思うけど
オペする前も
昔に比べて
異様なへこみ方しなくなってたもんね。


人間、慣れるんだよなぁ。
失われた機能に、ココロもカラダも慣れる。


それが日常になる。


うまく、ほかの部分を使って
てきとうにこなすことに慣れる。


精神的にも
人の言動に傷つかないよう
うまくながすようになっていく(自然に!)


「あ、このさき聞いたら、わたしたぶん傷つくな〜」
っていうのがわかると
(気分的にだけど)半分くらいしか聞こえないように
脳みそがかってにコントロールしてる気がする。


ま、たぶん、感覚的なことなんだけど
『この先キケン』信号を察知すると
上手にね、ココロにバリアを張るんだよ。不思議と。


ちょっぴりしょぼんとするけど
さらりと、流しちゃう。


そして、すぐ忘れる。


だって、相手は私を傷つけようとしてるわけじゃないんだもん。
仕方ないよ。
けっこうね、何気ない一言に傷つくことが多い。
もちろん悪気もないし、むしろ心配してくれてる時のほうが多い。
意外だよね。


ま、どういう言葉に傷つくかとか
どういう言葉がいやか、とかは人それぞれだと思うけど
私の場合は、上記のようなことが多かった。
・・・ていうか今でもそう。


うまく流しつつも、やっぱりしょぼんとしちゃう。
でもそうすると、いっつも聞いちゃうんだよね。自分に。
「傷つくかどうか
 決めるのは私だよ?」
そうしたらさ。
(強がりなんだろうか・・・)
傷つかないことを選んじゃう。
もしくな、傷ついても
5秒くらいで切り替わっちゃう。


・・・すごいよね。わたし。
めっちゃ進歩じゃない?


やっぱりこれも、慣れなんだろうか。


おかげで、だいぶ楽になった。


誰かに助けてもらわなくても
自分で自分の気持ちをコントロールできるようになってきたと思う。
(当然、助けられることもたくさんあるけど)


エライぞ私!
すごいぞ私!


さらにね。
人から優しくされたりしたときに
それを比較的素直に受け入れられるようにもなっていると思う。


相変わらずの引きこもり傾向はまだ変わらないけど
少なくとも、親兄弟には
甘えられるようになったもんね。


1年半もかかったけど
ココロがまたさらにタフになったと思う(実感!!!)


そんな私も
悪くないと思った今日この頃。


あとは、
願わくば、足がもう少し楽になりますように。
自分の人生に、目標とか希望とかをもてるようになりますように。
素直に、欲しいものを欲しいといえるようになりますように。


でも、書いてて気づいた。
最初の「足が〜」以外は、自分次第だね。
持つってきめたら、きっと持つし、言おう、と決めたら言うんだろうね。


・・・じゃあ、持てば?言えば?
って感じだね。


・・・あ〜かわいくな〜い。


でもいいんだ。
きっと、こういう風にさ
自分を追い詰めずに、なるようになるさって
ゆるーい
自然な
落ち着いた気持ちで日々をすごすことも大事よ。きっとね。


失ったものもあったけど
そのぶん得られたものもあったよね。


価値観もけっこうかわったし。


こうやって、人間というのは成長していくんでしょう。


時々、ふと思うの。
これまでの
「戦闘モード」の行きかたを変えるには
このくらいの「試練」というか、「きっかけ」を与えないと
だめだと思ったんじゃないかなって。


神様が、そう判断したんじゃないかなって。


だって。
こんなことでもなかったら
私はきっと、いまだに
「戦闘モード」一辺倒で生きてると思うよ。


『物理的な(身体的な)』自由度は減ったけど
『精神的な』自由度はあがったような気がする。


でも、たんなる堕落とかあきらめだったりして・・・。
・・・それだと悲しいな・・・。


でも。
ま、気持ちが元気になってるっていうのはいいことよ。
1年半もかかったけどね。


そう考えたら
1年半も、大変な思いして、よく克服したよね。
がんばった!すごいぞわたし☆


と、褒め称えたところで
今日の日記をおわりにし〜よおっと。


ながかったな〜
今日のつぶやき。


そろそろおやすみなさ〜い。